竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2007/08/21(火)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益が活躍した八戸城下の現状
実地調査の第2弾は、安藤昌益が当時の政権を非難したという八戸藩の城、八戸城です。
2007年8月15日、戦後62年を迎えたその日に行きました。
八戸城跡(市役所側入口)

八戸城跡は、JR本八戸駅と八戸市庁(市役所)の間に位置する三八城(みやぎ)公園内にあります。
公園となった今、ひっそりと城跡を指し示す石碑があります。
八戸城跡(三八城公園内)


5代八戸藩主・南部信興の時代、八戸藩を含む東北地方は農業の生産能力が低いにもかかわらず、年貢が重かったのです。町医者だった昌益は、既に別記した『自然真営道』『統道真伝』を著し、農業のみによる自給自足を説き、武士による取り立てを非難しました。
(参考文献:名久井貞美、『八戸藩二百年の残像』伊吉書院(2007))

昌益の思想体系は、名久井氏が言うように、原始時代への回帰、学問や文化の否定だけではありません。自給自足(直耕)、あらゆる人・生物との共存共栄(互生)を実践し、[自然世]で幸せに暮らせるための主張でした。
そのため、[法世]における束縛、つまり租税と、人を惑わす思想体系から脱却すべきだと主張したのです。

しかるに、現代もまた[法世]です。
今となっては、八戸は、中心街の朔日町、三日町、六日町、八日町、十三日町、十六日町、廿三日町、廿六日町などは商業(飲食業を含む)、海岸では工業が盛んです。
八戸漁港で獲れた海の幸や、市内の農地で穫れた米、野菜、果物は飲食店で消費され、また、お土産として他の地方に運ばれます。
昌益に言わせれば、このような有様は嘆かわしいことでしょう。

しかし、今や、家庭菜園を別として、全ての人が農業を行うことは不可能かもしれません(本ブログの著者が工業に携わっていることから、言い訳に聞こえるかもしれません)。それでも、人格を高める努力をしていきたいものです。
そして、世界に愛情と感謝に満ちあふれたとき、別の経済の形が出来上がることでしょう。それは、別に述べます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
下のリンク先では、安藤昌益の思想を現代に取り入れたい方を集計しています。
ブログランキングFC2ブログランキングへ
banner2.gif人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
page top
Copyright © 竹内文書の普及待ったなし!. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。