竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
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DATE: 2007/07/10(火)   CATEGORY: 1 竹内文書とは
金色の光球に導かれし2人の男性
私は、現代において、金色の球体に導かれた人が2人いることを知っています。
  1. 故・高坂和導氏
    1971年に、24歳にして竹内文書に出会ったそうです。竹内文書の正当性を天に尋ねたときに、金色の光球に出会ったとのことです。高坂氏はこの出会いをきっかけに、竹内文書の正当性を知り、その証拠を発掘するために世界をめぐりました。

  2. ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏
    ブラジル人の彼は、1968年、8歳の頃に、金色の光球を毎日見たといいます。彼は翌年、9歳のときに予知夢を見る(というより、夢で預言を賜る)ようになりました。

つまり、わずか3年の間に、互いに地球の反対側とはいえ、2人の現代男性が金色の光球に出会ったのです。
まず、ブラジルで8歳の男児が、ついで日本で24歳の青年が金色の球体に出会ったのです。

そして、金色の光球には、ある共通点があります。
それは、声を伴うことです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
では、2人が聞いたというその声の存在を、後半に述べます。
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高坂氏の証言:

 しかし、時代の大転換は刻々と迫っている。遙か神代の昔に、天皇のもとに秩序正しく世界統治をした神々が、いよいよその力を発揮して、世の中を一気にひっくり返し、再び世界を神代へと立て直さんとしているのである。そのためにも、真実の歴史を世に問い、世界平和の根本を人類に示す必要が生じてきたのだ。
 こういった考えに反発を感じる人も多いだろう。筆者も竹内文書の研究に取り組み始めた二十四年前はそうだった。というのも、私たち戦後教育を受けたものは、天皇は治世に携わらないという意識が強いからだ。
 ところが、竹内文書に出会ったとき、もしこれが本当なら、自分自身の生き方を根本から変えねばならないと思った。同時に、それを立証するためには、日本及び世界各地の遺跡や文献を徹底的に調べなければならないと考えた。
 だからといって、当時は、だれも教えてくれる人などいない。友人に相談したところで気が狂ったといわれるのがオチだ。となると、尋ねる先は天しかないと思った。
「この竹内文書の内容は真実ですか。もし真実なら一生かけてこれを立証していきます。しかし、もし間違ったものであれば一生を棒に振ることになってしまいます。真実かどうか、なにとぞ教えてください」
 私は、当時住んでいた調布市の丘の上に立って、富士山の方角に向かい、夜空にそう呼びかけた。すると、黄金色に輝く光球が飛んできて、私の頭上で止まったのである。それはまるで、日本の国旗掲揚塔の上につける金色の玉のようだった。それは金色の粉をチラチラと落としながら静かに降りて来て、腹に響くような声で、はっきりと私にこう伝えたのである。
「これはまことの歴史です。私たちがたえず天から見守っていますから、安心してこの研究に突き進みなさい。もし、あなたが道を踏みはずしそうになったら、私たちが軌道修正します」
 私は百万の味方を得た思いでうれしくなった。その声の主こそ、きっと地球に文明をもたらした外宇宙の知的生命体であろうと確信している。
 だれがなんといおうと、私はこの道を突き進もうと決心した。それからというもの、目に見えない力に次々と導かれるままに、日本や世界各地の研究調査を繰り返していった。そして、竹内文書の内容を証明する数々の事実をつきとめ、真実の歴史に対する確信をますます深めたのである。
高坂和導『[超図解]竹内文書』徳間書店(1995)。太字は当方による



ジュセリーノ氏の証言:

「誰があなたを指導しているのですか」と誰かが尋ねた。
「それは一つの声です」とジュセリーノ氏は言った。
「『あなたは、これをしなさい。あれをしなさい。あれをしてはならない』そんなやりとりが、彼と私のコミュニケーションのスタイルです。それは毎日起きます」
 そして、夢を見ないときは、この助言者の指導する言葉だけが来るという。
「その助言者の夢を見たことはありますか」と、私は尋ねた。
「いいえ、彼に関する夢も、彼の顔も見たことがありません。
 今は、私にとって彼は自然な存在であり、それでいて私という個人が関与できない、まったく別のものなのです。
 九歳のときから、助言者の出現は始まりました。
 その指導者は、私が“金の母(黄金色の光の球で、ブラジルの伝承に伝わる神的実体)”と呼んでいるものと関わりがあるのかどうかは分かりません。これは前にも言ったと思いますが、子どものころ、よく私の前に現れた“金の母”のことは覚えていますか?
 助言者の出現は、あの光が影響しているのかもしれません。あるいはそれが活性化したのかもしれません。しかし、そのとき以来、二度と出てきませんから、その光球が何であるのかは私には分からないのです。
 八歳のころに、毎日出現するその黄金の球を私は見ていました。そして私の内部で、ある現象を起こし、九歳から私の人生を変更させて、別なものを私の内部に形成していったのです。
 そういう変化といいますか、そうした実体との融合はすぐに起きたわけではありません。光球の出現から助言者が現れるまでには、一年ほどの時間がかかっています」



このように、当時の8歳児と24歳青年は、それぞれ予言者(というより預言者。*1)と考古学者になりました。
(*1)預言者:「神の言葉を預かる者」で「預言者」と書きます。神から預かる言葉は、未来へのヒント、

ジュセリーノ氏は、今年(2007年)ようやく彼の予言書が邦訳され、私も今年初めて知りました。今も、ブラジルで教師の仕事をする傍ら、夢の預言を基に世界に手紙で啓蒙する毎日を送っているそうです。

一方、高坂氏は、日本と世界の各地で、竹内文書の正当性を裏付ける地名や地質を発掘し、日本で紹介していきました。
残念ながら、2002年10月に54歳で亡くなられましたが、その遺志は、妻の順代さんが継いでいます。
Masaru Emoto's Web Site「竹内文書とのご縁・高坂順代さん来社」

もちろん、私も当ブログで紹介することにより、高坂氏だけでなく、正氣久嗣(久会)氏、故・竹田日恵氏らの研究を生かしていくつもりです。
いつか、"Web 3.0"の一角を担う自動翻訳が充実したら、当ブログも諸外国後に翻訳されることでしょう。
そのときまで、竹内文書の情報を発信すると共に、世界平和へのヒントを発掘、紹介していきたいと思います。

余談ですが、ジュセリーノ氏が竹内文書の存在と正当性を知っているかどうか、興味があるところです。
なぜなら、時代を同じくして共に黄金の光球に導かれたのですから、ジュセリーノ氏が夢の中での啓示によって知った可能性もあると考えられます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
下のリンク先では、
  1. 高坂和導氏の研究を、自分も無駄にしたくない方、
  2. ジュセリーノ氏が竹内文書の存在と正当性を知っているかどうか興味がある方
を集計しています。
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