竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
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個人攻撃と個人への責任転嫁は無意味
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竹内文書に基づく意見「天皇を中心とする社会の形成・維持」を展開するなら、それを否定する思想を攻撃すべきです。

私は、個人攻撃は無意味と考えています。なぜなら、その個人が起こした問題の再発を防げないからです。それより、再発防止策を重視します。
国際的陰謀に係わる人物が誰かを指摘するのは結構なことです。しかし、その個人を失脚させたところで、雨後のタケノコのように次々と新たな人物が現れるため、きりがありません。
それは、コンピュータウィルスがコンピュータを攻撃する仕組みと同じことです。パターンファイルをいくら用意しても、ファイル名を変えたり、攻撃法を変えると、感染する隙ができてしまいます。最近は、ヒューリスティック・スキャンを搭載するソフト(M社が代表的)のほかに、ネットワークの監視を強めたソフト(例:T社、I社)が開発される等、セキュリティ対策ソフトの開発競争が激しくなっています。

同じ理由で、自己責任を押し付ける考え方にも慎重になるべきものです。押し付ける側が責任から逃げているとも受け取れるからです。
あくまで、取ってもよい自己責任は、自ら進んで行動する責任です。その行動をとる過程で、一見、不可抗力に見える障害が生じるかもしれません。そのときは、事前にその障害が生じる情報を察知できたかどうか反省し、今後の再挑戦に生かせばよいと考えています。

『罪を憎んで人を憎まず』。それは、以上の意味にも気づいたからこそ、より強固な意志となります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
後半では、集団で行動をとる場合についても述べます。
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個人が集団にいると、自分の責任を感じにくくなるものです。ややもすると、無責任に陥りかねません。
自分の責任が及ぶ範囲で行動することは結構なことです。しかし、それは、その集団のリーダーでない限り、上司の任命、委託、または上司に対する志願を認めたことに因るものだと意識するべきです。

さて、竹内文書的発想に基づいて、集団に対して、重要なことを述べます。天皇を中心と認めることがリーダーの条件です。その集団は、宇宙のひな形を体現し、組織が安定するからです。

集団から脱退する自由が認められていれば、天皇の意義を否定する集団からの脱退を強くお勧めします。特に、組織内の個人に自己責任を押し付けたり、外部の者に責任転嫁したりする集団では、その責任転嫁を発言した者の我欲が強く、独断的な組織と見ることができます。そのような集団にいては、息苦しいこと、その集団にいなくても分かります。

所属する集団の方針に不満を持ちながら、命を脅かされて集団に留め置かれている人は、弁護士に相談することです。集団の惨状を忌憚なく伝えることで、基本的人権の回復への足がかりとなります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
下のリンク先では、「自己責任」の考え方に対して荷が軽くなった方を集計しています。
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