竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
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清濁合わせ呑む
日本語には「清濁合わせ呑む」という慣用句があります。善悪一元論を端的に表した言葉です。
日本人で、これを実行できる人は、今どれくらいいるのでしょうか。「競争社会」にかまけて、善悪二元論に陥っていないでしょうか。

悪は善を引き立てる、と言った文章を立ち読みしたことがあります(要出典)。言われてみれば、善は進んで行うもの、悪は行わないもの、ということを当たり前に思っていると気づかないことです。陰陽五行論では、「陽が極まると陰に転ずる。陰が極まると陽に転ずる。」とあり、陽を善、陰を悪に言い換えることで、善悪一元論を理解できます。善だけでは善の大切さが実感できない。悪だけでは自滅する。だから、いずれも大切に考えるのです。
できれば、悪は想定するだけで、善を大切に実行することが望ましいと思っています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
後半では、善悪一元論を既に体現している例(私の例を除く)をご紹介します。
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善悪二元論が、実は敵・味方分断論でしかないこと、人間にとって全体的、長期的に見て不利に働く「悪学」に分類したことを、本書で述べました(参考文献1)。

本書では、敬称を付ける、付けないの基準は、大正15年としています。大正15年までに亡くなった人は敬称を割愛しています。昭和元年以降に亡くなった人に対しては、味方も敵も、またどちらでもなくとも、付けるべき敬称を付けています。
味方のみに敬称を付け、敵と中立者に敬称を付けない文体を読んだことがあります(筆者の都合により参考文献非公開)が、その文体を用いることも敵・味方分断論に陥ってしまっています。ましてや、敵を侮蔑することは、一般意味論に照らして考えると、ただの自己満足にしかなりません。
敵.味方にかかわらず、全ての人物に敬称を付けるか付けないかのいずれかが望ましく、本書では前者です。

善悪一元論の例を2つ挙げます。
私がかつて取り組んでいた合気道は、相手に愛するが故に殺さないのです。相手に合わせて技を仕掛ける、つまり、相手あっての自分の技です。合気道で行われる大会は演武であって、試合ではありません。
同様に、剣道は「活人剣(かつにんけん)」、すなわち人を殺さない剣術です。こちらは試合があります。なぜか第2次世界大戦で日本軍が取り入れましたが、これでは、敵兵を殺せないこと、第2次世界大戦で日本が負けることもうなずけます。

最後に、少し古い話ですが、偏向報道と盛んに言われているNHKのドラマの台詞から一言取りあげます。
恨みではこの武田は討てんぞ。山本勘助。
武田信玄(NHK大河ドラマ『風林火山』)

この台詞は、私には次のように響きました。
恨みだけでは国際的陰謀を潰せんぞ。秦順途。

これが、時々思い出す私の課題の一つです。史実に基づいて作られたフィクションをもじって、自らの課題にしたことで、テレビドラマもあながち使えないでもないと感じた次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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参考文献
  1. 本書「学問の善悪」
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