竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
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「丸に十字」島津家の家紋も宇宙構造図に沿っている(改題:2007年5月2日)
宇宙構造図をご覧いただければ、ある家紋も宇宙構造図に沿っていることにお気づきの方もいらっしゃると思います。そう、<丸に十字>で有名な島津家の家紋です。
丸は外周にあり、十字はいずれの線も中心を貫きます。かくも単純な構造の家紋が宇宙構造図に沿っていることで、島津家の長い血脈を保障していると思えてなりません。
なお、<丸に十字>と言えば、島津製作所(の社章)という人もいらっしゃるかもしれません。
創業者の名は、島津源蔵と言いました。源蔵の血筋は元からの島津家ではなかったものの、

島津源蔵の祖先は、井上惣兵衛尉茂一といい、1500年代後半に播州に住んでいました。薩摩の島津義弘公が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉公から新たに拝領した播州姫路の領地に立ち寄った際、 惣兵衛は、領地の検分などに誠心誠意お世話をしました。その誠意に対する感謝の印として、義弘公から“島津の姓”と“丸に十の字(くつわ)の家紋”を贈られたと伝えられています。
島津製作所ウェブページ『沿革』
http://www.shimadzu.co.jp/aboutus/history/index.html


同じく沿革のページによると、島津製作所の社章は正確に定められているとのことです。

また、丹波の波多野家の家紋も、<<丸に十字>であることが判明しています。
その情報を発掘したのは宇野正美氏で、家紋は民家の鬼瓦にありました。その民家の元の持ち主が波多野姓だったことから、

なぜ、丹波の古くからつづく農家に、薩摩藩主・島津家と同じ家紋がつけられているのであろうか。その方の名字が「波多野」、すなわち秦氏の流れである一方、薩摩藩主・島津家もまた秦氏そのものなのである。そこで、両方の家紋がぴたり一致した。
『古代ユダヤの刻印』宇野正美著、日本文芸社



秦氏と言えば、日本書紀に、巻第十四・雄略天皇の雄略15年の条に秦酒公(はたのさかのきみ)、また、聖徳太子と昵懇(じっこん)だった人物として秦河勝(はたのかわかつ)が登場します。秦河勝は、日本書紀の後半(巻第十九以降)に載っているので、故・竹田日恵氏や文学考古会が行ったように、裏面解読することができます。
問題は、秦氏竹内文書に載っているかどうかです。今後調べてみます。

ところで、宇野氏は、聖書に基づいてユダヤ人や秦氏を研究していました。私は、宇野氏の著書を読んだ後に竹内文書の存在を知ったので、宇野氏の研究成果を補完、あるいは修正する可能性があります。


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