竹内文書の普及待ったなし!
竹内文書は、研究家たちの血のにじむような努力が実を結び、偽書のレッテルをはがす用意ができています。その内容は、現代社会の常識を超えるものです。勇気を持って受け入れましょう。
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DATE: 2010/02/10(水)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益と筆者の発音に対する意見の相違点
本書における過去の安藤昌益に関する記事をご覧になった方はお分かりのことと思いますが、私は、昌益の故郷・秋田県大館市の工業化や青森県八戸市の商工業の発展に対して、否定的な発言をしていました(参考文献1)。
理由は、工業と商業がいずれも、自然に逆らう営みである点で、昌益の思想に反することです。
決して、大館市民、八戸市民には責任はないと考えております。「罪を憎んで人を憎まず」です。

さて、私は現在、その昌益の思想と、各論において異なることに気づきました。
昌益は意味と漢字の読み方に違和感を抱いていた、ということが判明しています(参考文献2)。私は、この点では意見を異にします。

昌益の考え方はあくまで独自のもので、言葉と読み方の関係については(例:「君」の訓読み「きみ」を「屈音」と見なすなど。参考文献3)。
一方、私は決してそうは考えず、五行に沿って考えています。例えば「きみ」の2音はいずれも火気を帯びる発音と見ています。
なお、私は個別の音節の言霊を詳しく知りませんが、既に知られている言霊を優先します。

このように、言葉と読み方の関係に対して、昌益と私とでは考え方が異なります。
しかし、自然に沿って生きる農業を重んじる考え方には賛成です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
後半では、発音と五行の詳しい関係を見ていきます。
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DATE: 2007/08/21(火)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益が活躍した八戸城下の現状
実地調査の第2弾は、安藤昌益が当時の政権を非難したという八戸藩の城、八戸城です。
2007年8月15日、戦後62年を迎えたその日に行きました。
八戸城跡(市役所側入口)

八戸城跡は、JR本八戸駅と八戸市庁(市役所)の間に位置する三八城(みやぎ)公園内にあります。
公園となった今、ひっそりと城跡を指し示す石碑があります。
八戸城跡(三八城公園内)


5代八戸藩主・南部信興の時代、八戸藩を含む東北地方は農業の生産能力が低いにもかかわらず、年貢が重かったのです。町医者だった昌益は、既に別記した『自然真営道』『統道真伝』を著し、農業のみによる自給自足を説き、武士による取り立てを非難しました。
(参考文献:名久井貞美、『八戸藩二百年の残像』伊吉書院(2007))

昌益の思想体系は、名久井氏が言うように、原始時代への回帰、学問や文化の否定だけではありません。自給自足(直耕)、あらゆる人・生物との共存共栄(互生)を実践し、[自然世]で幸せに暮らせるための主張でした。
そのため、[法世]における束縛、つまり租税と、人を惑わす思想体系から脱却すべきだと主張したのです。

しかるに、現代もまた[法世]です。
今となっては、八戸は、中心街の朔日町、三日町、六日町、八日町、十三日町、十六日町、廿三日町、廿六日町などは商業(飲食業を含む)、海岸では工業が盛んです。
八戸漁港で獲れた海の幸や、市内の農地で穫れた米、野菜、果物は飲食店で消費され、また、お土産として他の地方に運ばれます。
昌益に言わせれば、このような有様は嘆かわしいことでしょう。

しかし、今や、家庭菜園を別として、全ての人が農業を行うことは不可能かもしれません(本ブログの著者が工業に携わっていることから、言い訳に聞こえるかもしれません)。それでも、人格を高める努力をしていきたいものです。
そして、世界に愛情と感謝に満ちあふれたとき、別の経済の形が出来上がることでしょう。それは、別に述べます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
下のリンク先では、安藤昌益の思想を現代に取り入れたい方を集計しています。
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DATE: 2007/08/19(日)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益の墓
本プログも、ついに実地調査を交えて書くことになりました。
その第1弾は、安藤昌益の墓です。そこには、2007年8月12日に行きました。
安藤昌益の墓

安藤昌益の墓は、大館市二井田にある温泉寺の墓地にあります。
両脇にも安藤家先祖代々の墓があり、昌益とその墓を守っています。
それにしても、墓を示す標識は、書籍で紹介されたときよりも立派になったと思うのは、私だけでしょうか。
形は変わらないものの、白いペンキ塗りの標識から、文字を彫った標識になっています。

一方で、墓石に書いてあった文字は、表面が欠けており、読めませんでした。
しかし、大館市郷土博物館に、文字が記録されていました。
そして、昌益の書物を解釈した狩野亨吉博士も、大館市出身者として紹介されています。なお、狩野博士は、代々大館に住んでいた家系の方だそうです。

いずれの場所も、興味のある方は行ってみるとよいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
後半では、温泉寺の墓地の特徴と、二井田の現状を述べます。
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DATE: 2007/06/19(火)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益の思想 (2)互性
本記事では、「直耕」と並ぶ安藤昌益の独自の言葉「互性」について述べます。
互性も、私は正しい読み方を知りませんが、「ごせい」または「ごしょう」と思われます。

意味は、人間は多くの人々と共に、また、自然の中に生きることです。
現代人が人は一人でも生きていける幻想に浸ってしまったのは、本来あるべき姿ではない、と、江戸時代の医者はすでに知っていたのです。

なお、これと似た字を書く「互生(ごせい)」や「五性(ごしょう)」とは全く異なります。参考までに、意味だけは取り上げます。

  • 互生
    [植]交互(すなわち節ごと)に1枚ずつ方向を異にして葉を生ずること。サクラ・アサガオの類。互生葉序。

  • 五性
    [仏]悟りに対する能力から衆生を5種類に分けたもの。菩薩定性・縁覚定性・声聞定性・不定性・無(種)性。

『広辞苑』第5版



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
なお、詳しいことは後半に書いてありますので、お読みいただけると幸いです。
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DATE: 2007/06/01(金)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益の思想 (1)直耕
安藤昌益の自家製の言葉を、『古代ユダヤの刻印』(宇野正美著、日本文芸社(出版年代不明))を元に列挙していきます。
  • 直耕
    本記事で述べます。
  • 互性
    自然の中における、多くの人との共存共栄。
  • 自然世
    すべての人が農耕に従事して自給自足の生活を送る平等社会(別記予定)。
  • 法世
    人が差別されている現実社会(別記予定)。
  • 聖人
    宗教の開祖だけではなく、当時で言う将軍や大名を指す。ここからは私の解釈だが、現代で言うと、政治家や公務員、それに会社などの法人が当てはまる。一般の意味での聖人については別記予定。


まず、本記事では、直耕について詳しく述べます。
まず、昌益の主張における最大の特徴である「直耕」です。私はこの言葉の正しい読み方を知りませんが、「ちょっこう」あるいは「じきこう」と思われます。
大方の意味は、「心をこめて大地を耕すこと」を意味します。これを取り入れている農民たちは幸せであるし、彼らこそ尊ばれるべきだと、昌益は主張しています。
また、直耕を実行していれば、健康で、欲心を持たず、よって気病を病むこともないといいます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
なお、続きとして、現代日本の食料を取り巻く事情を取り上げております。あわせてお読みいただければ幸いです。
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DATE: 2007/05/26(土)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益の思想 (3)自然世と法世
本記事では、安藤昌益が主張した以下の社会観、特に、現代にも存在する「法世」を中心に解説します。

  • 自然世
    すべての人が農耕に従事して自給自足の生活を送る平等社会。

  • 法世
    人が差別されている現実社会。

  • 聖人
    宗教の開祖だけではなく、当時で言う将軍や大名を指す。ここからは私の解釈だが、現代で言うと、政治家や公務員、それに会社などの法人が当てはまる。一般の意味での聖人については別記予定。

(『古代ユダヤの刻印』宇野正美著、日本文芸社(1997))



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
現代はやはりおかしかったか!!と思われた方は、根拠を後半に述べますので、続きをお読みいただければ幸いです。
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DATE: 2007/05/19(土)   CATEGORY: 1.5.2 安藤昌益
安藤昌益を発掘した狩野亨吉博士
竹内文書を偽書と断定し、後に撤回した狩野亨吉(かのう こうきち)博士。一方で、彼は埋もれていた江戸時代の農業指導者を発掘しました。

彼の名は、安藤昌益(しょうえき)。元禄16(1703)年生まれとされ、宝暦12(1762)年、60歳(数え年)で亡くなりました。
出身地で終焉の地でもある、秋田県大館市二井田(にいだ)の温泉寺に葬られ、没後の地元では「守農大神」と呼ばれていました。

今でこそ、在野の有志が研究会を立ち上げ、活動しています。昌益の年表も載っていますので、ここでは取り上げません。
安藤昌益研究会
しかし、日本で彼の名が広く知られるようになったのは、外交官、E・ハーバート・ノーマンの著書『忘れられた思想家・安藤昌益』(岩波書店)によります。
私の知る限り、日本の中学校までの教科書には登場せず、公務員試験(それも、国家公務員I・II種試験地方公務員上級試験)に忽然と登場するくらいです。私を含め、日本人として恥ずかしい限りです。

さて、なぜ昌益を取り上げたか。それは、竹内文書と並ぶ古史古伝『上記(うえつふみ)』の内容と思想が酷似していることです。

そもそも、昌益が生きていた江戸時代は、士農工商という有名な身分制度があった時代でした。その時代に、農耕に懸ける真心の大切さ、四民平等、環境の大切さを提唱したのです。
もっとも、その身分は、養子と大奥(または女中)経由の側室という2つの抜け穴がありましたが、ここでは取り上げません。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
なお、詳しいことは後半に書いてありますので、お読みいただけると幸いです。
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